古/いにしえの面影       其の参百十八

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2006年05月28日 日曜日
岡山県 倉敷市 6


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
変わるものと変わらんもの〜
いつまで知った景色があるのやら。。

やっと季節が合います〜

お寺も多く〜
エエ事書いてましたわ〜
でも、字に修練が…失礼

※見返れば〜
ゆっくりこの景色に
溶け込みたかったです〜

商店街から見た路地口。。
呼んでいます〜

屋根の重なりが、とても綺麗です。

※土壁の向うは〜
ビルが残無い〜

片倉ですね〜

上の路地の傍の蔵。。
取っ手は横に旗でも左右に張って
日除けにしたんでしょうか?
蔵から搬入出じの雨除けか??

※黒と白の使い方が上手い〜


四角い下水マンホールも
元気ですよ〜

竈の煙突が折れて残念ですが〜
人の息吹は有りますわ〜

これでもか!と、問いたげな軒先・・・

※振り返った路地には
NHKのラジオ放送が
流れていました〜
左の御家から出てくる石段に
気づきましたか?
川傍なので一段高いの??

中国銀行倉敷『支店』と
鉄製の扉に書かれていますが〜
今でも、近くのお年寄りは
『本店』と呼ぶそうです。

※丸型門燈も美しい!

この瓦の色は〜
緑色に輝いて紅柄も赤土壁も〜
流石、有隣荘。。

※鬼瓦ではないですが〜

高梁川との係わりの中で〜
米の積出港倉敷は寛永19年(1642)代官所が置かれ天領となった。池田藩・松山藩も内治に力を入れ耕地を拡大したため,新田には,綿,菜種の商品作物がふえた。一方文化10年(1813)ごろから野崎武左衛門が広大な塩田を開き「塩田王国」を築いた。このころ讃岐の金比羅大権現とともに栄えた由加大権現で土産物の真田ひもが全国的に好評を得,内職的なものから発展,現在の児島地区織物企業の先駆となった。また近代産業の先駆けとして明治14年に玉島紡績所が誕生,15年には下村紡績,続いて22年には大原孝四郎らによって大規模な倉敷紡績所が操業した。
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ふむふむ〜焼き板にも歴史が染込んでいますなぁ〜

市主導の観光地化だけでは
無いみたいですね〜
息吹が感じられます。。

※京都とは少し違った路地風景〜
糸偏は儲かったんですね〜
タダタダ唖然…

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